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今日はガンディーの誕生日

小田原市蓮正寺にお住いの皆さん、こんにちは!

小中学生対象の学習塾、清栄学舎午来(ごらい)です。


小田原市蓮正寺エリアにある当塾では、白山中学校・泉中学校・東富水小学校・富水小学校に通うお子さんを中心に、生徒を大募集しています!

もちろん、それ以外の学校にお通いの方も大歓迎!



今日、10月2日はマハトマ・ガンディーの誕生日です。

インドの独立運動を平和的に導いた指導者として世界的に知られる彼は、もちろんインドを代表する偉人のひとりです。


インドには「国民の祝日(National Holiday)」が3日あります。


1月26日の共和国記念日

8月15日の独立記念日

そして、10月2日のガンディー生誕日です。


ガンディーは、インド西部グジャラート州の港町で生まれました。

18歳でロンドンに渡って法学を学び、その後南アフリカで弁護士として活動します。


当時の南アフリカは白人優位の人種差別政策のもとにあり、インド系住民は厳しい差別に苦しんでいました。

ガンディー自身も列車の一等車から降ろされるなどの屈辱を受け、その経験から非暴力主義の思想を深めていきます。


インドに帰国したガンディーは、「非暴力・不服従」を掲げてイギリスからの独立運動を率いました。

伝統的なインドの綿製品を身につけることを呼びかけてイギリス製品の不買運動を行ったり、さらにイギリスが課した塩税に抗議して約380kmを歩く「塩の行進」を行ったりするなど、先頭に立っていろいろな運動を実施しました。


第二次世界大戦後の1947年、インドはついにイギリスから独立します。

しかし独立に際して、ヒンドゥー教徒とイスラム教徒の対立が激化し、インドとパキスタンは「分離独立」することになりました。

宗教間の融和を訴えていたガンディーでしたが、この分離独立に反発したヒンドゥー教原理主義の青年によって1948年に暗殺されます。


私がインドに住んでいたころ、国内を旅行すると、各地にガンディーゆかりの記念館や像、史跡などを目にしました。

インドは州によって文化や思想が大きく異なりますが、それでもガンディーが国全体にどれほど大きな影響を与えたかを強く感じました。

せっかくなので、次にその一部をご紹介します。



ウッタル・プラデーシュ州プラヤーグラージにある、ネルー一族の邸宅。

独立後インドの初代首相を務めたジャワハルラール・ネルーは、ガンディーとの親交も厚く、彼の独立運動を支えていました。

ガンディーもよくこの邸宅に足を運び、独立運動の拠点の一つとして利用していたようです。


ネルー邸
ネルー邸
ガンディーが寝起きしていた客間
ガンディーが寝起きしていた客間


グジャラート州アーメダバードにあるアシュラム(修行のための道場)。

独立運動の拠点として1917年にガンディーによって建設され、「塩の行進」のスタート地点にもなりました。


塩の行進
塩の行進
敷地内で何か学習中の子どもたち
敷地内で何か学習中の子どもたち


タミル・ナドゥ州マドゥライにあるガンディー博物館。

ここには、ガンディーが晩年身に付けていたメガネや、暗殺されたときに着用していて、血痕の残る腰巻が保管展示されてます。

血痕のついた腰巻
血痕のついた腰巻

デリーにあるガンディーの墓。

祈りをささげる人が後を絶ちません。





タミル・ナドゥ州カニャクマリにあるガンディー記念堂。

カニャクマリはインド亜大陸の最南端にあり、ベンガル湾・インド洋・アラビア海の交わる場所として、インド国内でも特別な場所とされています。

この海に、ガンディーの遺灰の一部が流されました。


ガンディーの遺灰が置かれていた台
ガンディーの遺灰が置かれていた台

この記念堂はドームになっているのですが、天井の最も高くなっているところに小さな穴が開いています。

10月2日になると、この穴から差し込む一筋の陽光が台を照らすように設計されているようです。

つまり今日、この小さな穴から内部に光が注がれているということになります。



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