清栄学舎ができるまで ~前編:教員としての経験~
- seieigakusha25
- 1 day ago
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小田原線螢田駅周辺にお住いの皆さん、こんにちは!
生徒絶賛募集中!清栄学舎の午来(ごらい)です。
小田原市蓮正寺エリアに新しく開校した当塾では、白山中学校・泉中学校・東富水小学校・富水小学校に通うお子さんを中心に、生徒を大募集しています!
もちろん、それ以外の学校にお通いの方も大歓迎!
今回は、私自身のことを少しお話しさせていただきたいと思います。
というのも、これまでブログでいろいろと教育の話はしてきたのに、自己紹介をすっかり忘れていました……!
というわけで、まずは前編として「これまでどんな経験をしてきたのか」をご紹介します。
小学校教育を学んだ大学時代
私は国立大学の教育学部を卒業しました。
小学校教員養成課程に所属していたので、メインは小学校教育です。
大学では、国語や算数だけでなく、図工・体育・音楽といった教科も学びました。
今でも印象に残っているのが、ピアノの弾き語りのテスト。
小学校の先生って、本当に何でもやるんです……!
ゼミでは「教育哲学」を専攻。
ちょっと小難しいテーマについて、ぐちぐちと考えるのが昔から好きでした。
海外での教員生活(インドネシア編)
大学卒業後、インドネシアにある日本人学校に赴任しました。
ここでは3年間、小学校の担任を務めました。
学校の規模はどれくらいか想像つきますか?
私がいた当時の生徒数はなんと、小中合わせて約1,200人。
東南アジアにはたくさんの日本人が住んでいます。
タイのバンコクやシンガポールの日本人学校は、さらに児童生徒数が多いです。
使用する教科書や学習内容、時間割は日本の学校とほぼ同じです。
……が、校庭に毒蛇が出たり、市内で暴動が起きて臨時休校になったりと、毎日が刺激的でした(笑)
沖縄の離島で塾講師に
帰国後は、沖縄の離島にある公営塾に勤務しました。
ここは一転して、小中あわせてわずか50人ほどの小さな学校。
島には高校がなく、中学を卒業すると、子どもたちは親元を離れて本島の高校へ進学します。
ちなみに、島には信号が1つしかなく、それも学校の前にある「教育用」信号!
島の子どもたちが信号の渡り方を学ぶために設置されているのです。
この島で、1年半ほど勤務しました。
私がフェリーで島を去る時、子どもたちが埠頭で見えなくなるまで手を振ってくれたのが深く印象に残っています。
再び海外へ(インド編)
その後、インドの補習授業校で勤務しました。
補習授業校というのは、学校と塾の間のような存在です。
日本人学校がない地域に住む日本人の子どもたちは、日中は英語で授業が行われるインターナショナルスクールに通い、放課後には日本語で日本の教科を学びに補習授業校へ来ます。
言語をうまく切り替えながら学ぶ子どもたちに感心しつつ、私自身も、異文化の中でたくさんの学びと経験を得ることができました。
インドには3年ちょっと滞在していましたが、時間があれば国内を旅行して、日本では考えられないような風景や出来事にもたくさん出会いました。
撮りためた写真や動画もたくさんあるので、いつか塾の生徒たちにお話しできたらいいなと思っています。
そして、現在
そして、今年の3月末に日本へ本帰国。
今に至ります。
次回は、後編として「教育への思い」や「塾を始めた理由」についてお話ししたいと思います。
ぜひ、そちらも読んでいただけたら嬉しいです!
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