戦後の日本外交② 日韓基本条約と日ソ共同宣言
- seieigakusha25
- Dec 26, 2025
- 2 min read
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戦後の日本外交においては、「~条約」や「~宣言」など、微妙にニュアンスの異なる用語が多く出てきます。
前回は「条約」「宣言」「声明」の違いを解説しました。
今回は具体例を挙げて中身を見てみます。
戦後日本の外交を考えるうえで、とても対照的なのが以下の2つです。
日韓基本条約(1965年)
日ソ共同宣言(1956年)
日韓基本条約(1965年)
日本と韓国は、1965年に日韓基本条約を結びました。
ここで日本と韓国は、
・国交の正常化
・財産、請求権問題の整理
・戦後関係の土台作り
を目指しました。
日本と韓国の間には、日本の植民地支配や戦後の賠償・補償問題といった、
法的に整理すべき問題が多く存在していました。
冷戦という世界情勢下において、日本と韓国は同じ資本主義陣営に組み込まれたため、
これらをあいまいにせず、「解決」することが求められました。
そのため、法的拘束力のある条約が必要だったのです。
日ソ共同宣言(1956年)
一方、日本とソ連は条約をむすばず、「宣言」という形をとりました。
この宣言で決まったのは、
・戦争状態の終了
・国交の回復
・国連への日本の加盟支持
です。
なぜ宣言どまりなのか、その理由ははっきりしています。
北方領土問題が未解決だったからです。
領土問題が残ったままでは、正式な平和条約を結ぶことはできません。
そのため、戦争は終わらせるが条約は結ばないという形で、宣言にとどまりました。
この領土問題は今なお残っており、ソ連を実質的に引き継いだロシアと日本の間には、現在も平和条約が存在しません。
まとめると、
・韓国とは条約で関係を整理
・ソ連とは宣言で最低限の合意
ということになります。
次回は、この段階的外交がよく分かる日中関係を扱います。



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