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戦後の日本外交② 日韓基本条約と日ソ共同宣言

小田原市蓮正寺にお住まいの皆さん、こんにちは!

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もちろん、それ以外の学校にお通いの方も大歓迎!




おとといのブログ記事の続きです。

戦後の日本外交においては、「~条約」や「~宣言」など、微妙にニュアンスの異なる用語が多く出てきます。

前回は「条約」「宣言」「声明」の違いを解説しました。

今回は具体例を挙げて中身を見てみます。



戦後日本の外交を考えるうえで、とても対照的なのが以下の2つです。


日韓基本条約(1965年)

日ソ共同宣言(1956年)



日韓基本条約(1965年)


日本と韓国は、1965年に日韓基本条約を結びました。


ここで日本と韓国は、

・国交の正常化

・財産、請求権問題の整理

・戦後関係の土台作り

を目指しました。


日本と韓国の間には、日本の植民地支配や戦後の賠償・補償問題といった、

法的に整理すべき問題が多く存在していました。


冷戦という世界情勢下において、日本と韓国は同じ資本主義陣営に組み込まれたため、

これらをあいまいにせず、「解決」することが求められました。

そのため、法的拘束力のある条約が必要だったのです。



日ソ共同宣言(1956年)


一方、日本とソ連は条約をむすばず、「宣言」という形をとりました。


この宣言で決まったのは、

・戦争状態の終了

・国交の回復

・国連への日本の加盟支持

です。


なぜ宣言どまりなのか、その理由ははっきりしています。

北方領土問題が未解決だったからです。


領土問題が残ったままでは、正式な平和条約を結ぶことはできません。

そのため、戦争は終わらせるが条約は結ばないという形で、宣言にとどまりました。


この領土問題は今なお残っており、ソ連を実質的に引き継いだロシアと日本の間には、現在も平和条約が存在しません。


まとめると、

・韓国とは条約で関係を整理

・ソ連とは宣言で最低限の合意

ということになります。


次回は、この段階的外交がよく分かる日中関係を扱います。

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