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戦後の日本外交③ 日中共同声明と日中平和友好条約

小田原市蓮正寺にお住まいの皆さん、こんにちは!

小中学生対象の学習塾、清栄学舎午来(ごらい)です。


小田原市蓮正寺エリアにある当塾では、白山中学校・泉中学校・東富水小学校・富水小学校に通うお子さんを中心に、生徒を大募集しています!

もちろん、それ以外の学校にお通いの方も大歓迎!



前回の続きです。

日本と中国の戦後外交は、二つのステップで進みました。



日中共同声明(1972年)


1972年、日本は中国と日中共同声明を発表しました。

ここで決まったのは、中華人民共和国を正式な中国政府と認めることと日本と中国の国交正常化です。


それまで日本と中華人民共和国の間には、正式な国交がありませんでした。

まず必要だったのは、「お互いを正式な国として認め、外交関係を始めること」でした。

そのため条約はまだ結ばずに、出発点としての声明が選ばれました。



日中平和友好条約(1978年)


国交正常化から6年後、日本と中国は日中平和友好条約を結びます。

この条約では、平和的な関係の継続、相互に友好関係を保つことが、法的に確認されました。

関係が安定したからこそ、「条約」を結ぶことができたのです。



少し補足説明をします。

ここから先は中学校の歴史よりも少し踏み込んだ話になりますが、日本は長い間、中国の正式な国家として中華民国を認めていました。

中華民国は中国国民党が主導して成立した国家です。

しかし、国民党は中国共産党との内戦に敗れ、中国本土から台湾へ移動しました。


一方、第二次世界大戦後、中国本土を支配した共産党は中華人民共和国を成立させました。

中華人民共和国は次第に国際的な影響力を強め、世界の多くの国々が、中華人民共和国を中国の正式な国家として認めるようになっていきました。

日本もこの流れを受け、1972年の日中国交正常化によって、中華人民共和国を中国の正式な国家として認め、国交を結びました。

その結果、日本は中華民国(台湾)との国交を断絶することになりました。


現在、台湾がオリンピックなどの国際大会で国家として認められていないことや、中国と台湾の関係が緊張していることは、こうした歴史的経緯と深く関係しています。

この点を踏まえて東アジアの情勢を見ると、より理解が深まるでしょう。



日本の隣国である中国・ロシア・韓国。

これらの国との関係には、今も課題が残っています。


しかし、それらの問題は突然生まれたわけではありません。

戦後の外交の選択が、現在につながっています。

あるいは、そういった問題があったからこそ、日本の戦後外交はそのような選択肢をとったともいえます。


条約・宣言・声明の違いを理解すると、日本と隣国との間にどのような問題があるかが見えてきます。


歴史は暗記科目ではありません。

理解すれば、ニュースや国際情勢も自然と読めるようになります。

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