地域とつながる中で、あらためて「教育」を考える
- 4 days ago
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小田原市蓮正寺にお住まいの皆さん、こんにちは!
小中学生対象の学習塾、清栄学舎の午来(ごらい)です。
小田原市蓮正寺エリアにある当塾では、白山中学校・泉中学校・東富水小学校・富水小学校に通うお子さんを中心に、生徒を大募集しています!
もちろん、それ以外の学校にお通いの方も大歓迎!
私自身の話ですが、ここ数週間ほど、蓮正寺の子ども会に顔を出したり、休耕田の復田プロジェクトに参加させていただいたりと、地域の活動に関わらせてもらっています。
また昨日は「主権者教育」をテーマに、大人同士で選挙や政治について語り合う場にも参加しました。
地域の方々と話していると、あらためて感じることがあります。
「教育は学校や塾の中だけで完結するものではない」ということです。
大学時代に学んだこと ― デューイとの出会い
大学時代、私の所属していたゼミの先生はJohn Deweyの研究者でした。
それゆえに、私自身もデューイの著作を何冊か読んだことがあります。
デューイはアメリカの哲学者で、「プラグマティズム」を発展させた人物です。
プラグマティズムは日本語で「実用主義」や「道具主義」と訳されることが多く、その考え方はとてもシンプルに言えば、「知識は役に立ってこそ意味がある」というものです。
かなり現実的というか、いかにもアメリカらしい考え方です。
彼は哲学者であると同時に教育実践家でもあり、実際に学校を運営していました。
そして有名な著書『Democracy and Education(邦題:民主主義と教育)』の中で、こんなことを述べています。
「学校は社会の縮図である。」
つまり、学校での経験そのものが、将来の社会のあり方を形づくるという考えです。
「経験」から学ぶという発想
デューイが重視したのは「経験」です。
実際にやってみて、そこから得られた結果を「真理」として知識にする。
実際にやってみた結果、失敗してしまったら、なぜかを考えて次に生かす。
この循環こそが本当の学びだ、と彼は言います。
現代の教育でよく耳にする「主体的・対話的で深い学び」や「アクティブラーニング」、「探究学習」などの源流の一つがデューイの思想です。
戦後の教育改革の中でも、こうした考え方は日本に取り入れられました。
しかし、理想だけでは進まない
ただ、この考え方には批判もあります。
・理想的すぎるのではないか
・体験重視だと基礎学力が弱くならないか
・無秩序な自由になりやすいのではないか
実際に学校現場で実践するには、教師の力量や環境条件が大きく影響します。
「やらせれば学びになる」というほど、教育は単純ではありません。
私自身、塾を運営していて強く感じます。
入試対策や学校補習という現実的なニーズがある中で、理想をそのまま形にすることは簡単ではありません。
それでも、最近地域の活動に参加しながら思うのです。
子供会での活動や地域プロジェクト、主権者教育の話し合い。
こうした場こそが、まさに「社会の縮図」なのではないかと。
子どもたちが、誰かと協力して意見を出し合ったり、自分の考えを言葉にしたり、そうした経験を積む場はテストの点数とは別の意味でとても大切です。
清栄学舎のこれから
今はまだ当塾は、高校入試対策や学校補習という役割を中心にしています。
しかし将来的には、「地域の学びの拠点」として、体験教室や対話型ワークショップ、地域とつながる学びの企画といった取り組みもできたらと考えています。
もちろん、理想だけでは運営はできません。
まずは塾としての土台を固めることが最優先です。
子どもたちが考えることを楽しみ、話し合い、失敗し、また挑戦する。
そんな空間を、少しずつでも育てていけたらと思っています。
ここ数週間、地域とつながる中であらためて「教育とは何か」を考える時間をいただいています。
清栄学舎は、学力だけでなく「学ぶ力」そのものを育てる塾でありたい。
そんな思いを、これからも少しずつ形にしていきます。
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